いたずら好きで~いびつな形も~愛(め)でて~です。
(A^_^;) タイトルがふざけた感じになってしまいましたが、当ブログにての”しろくま妄想曲”及び”妄想ものがたり”の想いを綴ってみます。
私が、米津玄師さんの曲を”妄想曲”としてイメージを膨らませて、解釈してみようと思ったきっかけは、「アイネクライネ」の歌詞にある ”奇跡であふれて足りないや” という言葉の意味を探ろうとしたことが始まりだと以前に書きましたが、元々の動機は、2ndアルバム『YANKEE』完成の際の『ROCKIN'ON JAPAN 5月号』に掲載されたインタビュー記事を読んだことでもあるのです。
米津さんの言葉で、ボカロで作り始めた頃にいろんな人たちのダイレクトな感想で ”やっぱりわかりにくい” みたいな反応は少なくなかったらしく、それも含め自身が発信したことに対して ”深いな” と無邪気なほどに言葉が返ってくることで、これまでと同じやり方ではダメだ、じゃないともうやるべき意味もないなと思うようになり始めたそうです。
私が特に心に響いたことがここにあって、その部分だけを抜き出しますので誤解なきようにお願い致しますが、『深いな』という言葉に対して、
「全然悪気はないんですけど、その人たちに。むしろ一種の尊敬のまなざしだったりもするんだと思うんですけど。でも『深いな』っていう一言で片でけられてて。ものすごい深い穴があって、その穴に飛び込むわけでもなく、その穴の淵に立って、中を覗き込んで『あっ、これ深いな』って言ってるだけなんですよね。それが悪いとは言わないですけど、嫌になってきたんですね。やっぱり言葉を発するからには、発する相手が共感できるような言葉で、共感できるような色で…~」
『diorma』を聴き始めたころ、なんだかよく分からないけど、なんかイイなこの曲とか思いながら、私もそんなひとりでした。でも、それで聞流しているのではなくて、その中に入ってみよう、もっと知ろうとしようと思い始めました。それでも、曲のテンポとかメロディーと言葉の軽快さが ”なんかイイな” と感覚の域を出ないでもいますが、米津玄師さんの作り出す曲が好きである理由を求めようと思い続けています。
これからも音楽界では鮮烈な人たちが出てきて目移りしていくのでしょうが、米津玄師さんのファンであると公言できるよう、多くを聴いて多くを観て、自分なりの感想をもって発信して、ファンな方々にまみえた時に傍観者であらぬようにと思います。
ただ、私の場合は、ちょっと。調味料をどばどばとかけて自分好みの味にしている感は否めませんが…(汗)。
それでも、点が線へと繋がった勘違いが生まれた瞬間には、その曲がより好きになってゆきます。楽しいです。
(・∀・)」 そうなんです。道が間違っていたとしても、そこへたどり着くまでの風景に発見があったと自身に残ったことが、眩しい憧れだけでなくて、濃く鮮明なもの見えるのだと思います。
(~=w=)~ それとです。自分の残したものにはやっぱりどこかしら愛着が生まれます。と、いうことで、こんなタイトルでした。
閲覧された方には、ご理解と感謝を。
ありがとうございました。
私が、米津玄師さんの曲を”妄想曲”としてイメージを膨らませて、解釈してみようと思ったきっかけは、「アイネクライネ」の歌詞にある ”奇跡であふれて足りないや” という言葉の意味を探ろうとしたことが始まりだと以前に書きましたが、元々の動機は、2ndアルバム『YANKEE』完成の際の『ROCKIN'ON JAPAN 5月号』に掲載されたインタビュー記事を読んだことでもあるのです。
米津さんの言葉で、ボカロで作り始めた頃にいろんな人たちのダイレクトな感想で ”やっぱりわかりにくい” みたいな反応は少なくなかったらしく、それも含め自身が発信したことに対して ”深いな” と無邪気なほどに言葉が返ってくることで、これまでと同じやり方ではダメだ、じゃないともうやるべき意味もないなと思うようになり始めたそうです。
私が特に心に響いたことがここにあって、その部分だけを抜き出しますので誤解なきようにお願い致しますが、『深いな』という言葉に対して、
「全然悪気はないんですけど、その人たちに。むしろ一種の尊敬のまなざしだったりもするんだと思うんですけど。でも『深いな』っていう一言で片でけられてて。ものすごい深い穴があって、その穴に飛び込むわけでもなく、その穴の淵に立って、中を覗き込んで『あっ、これ深いな』って言ってるだけなんですよね。それが悪いとは言わないですけど、嫌になってきたんですね。やっぱり言葉を発するからには、発する相手が共感できるような言葉で、共感できるような色で…~」
『diorma』を聴き始めたころ、なんだかよく分からないけど、なんかイイなこの曲とか思いながら、私もそんなひとりでした。でも、それで聞流しているのではなくて、その中に入ってみよう、もっと知ろうとしようと思い始めました。それでも、曲のテンポとかメロディーと言葉の軽快さが ”なんかイイな” と感覚の域を出ないでもいますが、米津玄師さんの作り出す曲が好きである理由を求めようと思い続けています。
これからも音楽界では鮮烈な人たちが出てきて目移りしていくのでしょうが、米津玄師さんのファンであると公言できるよう、多くを聴いて多くを観て、自分なりの感想をもって発信して、ファンな方々にまみえた時に傍観者であらぬようにと思います。
ただ、私の場合は、ちょっと。調味料をどばどばとかけて自分好みの味にしている感は否めませんが…(汗)。
それでも、点が線へと繋がった勘違いが生まれた瞬間には、その曲がより好きになってゆきます。楽しいです。
(・∀・)」 そうなんです。道が間違っていたとしても、そこへたどり着くまでの風景に発見があったと自身に残ったことが、眩しい憧れだけでなくて、濃く鮮明なもの見えるのだと思います。
(~=w=)~ それとです。自分の残したものにはやっぱりどこかしら愛着が生まれます。と、いうことで、こんなタイトルでした。
閲覧された方には、ご理解と感謝を。
ありがとうございました。
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